岡野ピアノ&ヴォイス教室 講師紹介

九州鹿児島県の山奥・・・自然がいっぱいの環境でのびのびと育つ。母は京都府舞鶴市出身の家庭科の先生。

可愛い手作りの洋服をよく作ってくれていた。

 

とにかく歌が音楽が大好き

音楽・特に歌が大好きでいつも童謡を口ずさんでいた。

父の勤めの関係で、山の中に社宅が。毎朝 6 時 30 分に家を出て、5 キロの山道を 2 時間かけて小学校に通う。ここで体力がついたのかも・笑私にとってその 2 時間は四季折々の木々や草花など、自然に触れられる大好きな大切な時間だった。


小学校 5 年生の時に、熊本県水俣市に転居
ここにはピアノの先生がいた! 母にせがんで ピアノを習い始める💕 ただ
私の考えていた楽しいピアノではなくて、冷たく厳しい先生で、子供心にもちょっと残念だなーと思っていたけれど、いろんな曲が弾けるようになることは嬉しかった。 中学になってコーラス部に入部。


中学3年生の2学期、父の勤めの関係で宮崎県高千穂町に転居
中学3年生の10月に転校。高千穂高校に入学。山奥の高校で私たちの時代は、まだ大学進学する人は少なかった。歌うこと・音楽がとにかく大好きだった私は、
またしてもコーラス部に入部。

勉強は理数系が 好きで薬剤師になりたかったけれど、高校 1 年生の担任の先生の、音楽の方が向いているのではということで、急きょ、音楽の先生を目指すことに。高校の音楽の先生に受験に必要なピアノ・声楽・ソルフェージュなど全て教 わる。音楽の先生・片山謙二先生は大学を卒業したばかりの若い先生。とても熱心に音楽のすべてを教えてくださった。片山先生は合唱指導も素晴らしく、担当する高校合唱部を全国大会に連れていいけるカリスマ先生だった。ただし、片山先生最初の赴任高校・高千穂高校だけは...残念ながら...全国大会に行けなかったと言われ、これは今でも語り草になっている。こんな素晴らしい先生に、学問として「音楽」の最初の入口を教えていただけたことは私にとって幸せなことだった。

高校時代の文化祭で独唱する私 「この道」北原白秋 詩 / 山田耕筰 曲
高校時代の文化祭で独唱する私 「この道」北原白秋 詩 / 山田耕筰 曲

大学時代(長崎市)
その頃は珍しい3年制の活水短期大学(現在は活水女子大学)音楽科声楽専攻に進学。長崎の観光名所オランダ坂を登ったところにある創立120年の由緒ある女子大学だった。田舎の高校出身の私は遅れを取っていたので、大学時代の 3 年間努力し、卒業リサイタルでトリ で演奏するまでに。とても嬉しかった。

思っていたより辛かった結婚生活のはじめ(茨城県常陸大宮市)
大学卒業後、しばらく長崎で働きながら一人暮らしをし、24歳の時、大学時代に知り合った船乗りの夫と結婚、九州から遠く離れた夫の実家(茨城県常陸大宮町) で夫の両親と暮らすことに。夫は職業柄1年中ほとんど留守。優しい両親ではあったが、今のようにメールやラインなど通信手段がないなか、友達も知り合いも全くいないところでの生活は思った以上に辛かった。
25 歳の時に長女を出産。気候も習慣も違う見知らぬ田舎での子育ては、孤独だった。若かった私は、上手に義父母に甘えることもできず、初めての子育てで疲れ果て、自分を追い込んでいった。そんなとき私を救ってくれたのは、「音楽・ピアノを弾くこと、歌うこと」だった。

 

鈴木鎮一先生の理念に感動し、スズキ・メソードピアノ指導者に(横浜市)
夫の大学院進学のため、1979年 横浜本郷台の公務員住宅に長女を連れて転居。初めて夫・子どもとの家族水入らずの生活が始まる。その後、3人の子供に恵まれ4人の子供の母親に。母の友人のピアノの先生から出産祝いにと、鈴木鎮一先生著「愛に生きる」をいただき、その内容の素晴らしさに衝撃を受ける。自分の子供たちをスズキ・メソードで育てたいと、4人の子供たちそれぞれスズキ・メソード・バイオリン・チェロ・ピアノ教室に通わせる。そして私自身もスズキ・メソードでピアノを教えるべく、スズキ・メソードピアノ研究グループに入り、両手に子供の手をひき、おんぶして、ピアノ指導者のための、講習会に通う。「岡野先生はいつも赤ん坊を背負っているね。」と微笑まれながら、スズキ・メソードの真髄を知りたい一心で子供を連れて講習会に通う。1983年5月、スズキ・メソードピアノ科指導者として認定を受け、活動を始める。


茨城県守谷市に転居(1988年)

公務員宿舎をでて、茨城県守谷市に居を構える。1990年5人目の子供が生まれ、私の理想としてた5人の子供の母親になる。自宅に防音室+グランドピアノを用意し、スズキ・メソード・岡野ピアノ教室として本格的なお教室環境が整う

 

Suzuki Voice を知る
1993年、ソウルでスズキ・メソード世界大会が開かれ、1 歳の末娘を連れて参加。 その時に、日本にはないけれど、 フィンランドの Päivi 先生が開発された Suzuki Voice があることを知り、スズキ・メソードに声楽部門があることにとても喜びを感じ嬉い驚きを持って見学💕 
ただ英語が不得意でPäivi先生と連絡を取ることも、また当時はワンオペでの5人の子育てに追われていた私は、どなたかが日本に Suzuki Voice を導入してくださることを待つことにする。

鈴木鎮一先生からスズキ・メソードピアノ科指導者としての認定書を受取る(浜松市においての指導者研究会にて)

バンコクでの生活
1996 年夫がバンコクに転勤。これまで家族一緒に暮らせることがほとんどなかったので、大学生 2 年・高校生 2 年・ 中学生 3 年・小学生 6 年・幼稚園生の 5 人の子供たちを連れて、一緒にバンコクへ。
お手伝いさん、運転手さん付きの広いマンションで、家族水入らずの優雅な生活だった💞。
しかし、同じ頃「めまい、脱力感」などに襲われ、精密検査の結果、副腎腫瘍からきているとわかる。悩んだ末に、バンコクの病院で副腎腫瘍の摘出手術を受ける。おかげで命拾いをする。大変なこともあったが、家族全員にとって有意義なバンコク滞在だった。子供達にとって海外での生活を知ったことはその後の人生に大きな影響を与えた。

日本歌曲・瀬山詠子の先生との出会い
1998 年瀬山詠子東京芸術大学名誉教授ご指導の「詩から入る日本歌曲ゼミナール」があることを知る。
瀬山先生は日本歌曲の世界では造詣が深く、草分け的な存在の重鎮。すぐに受講を申し込む。
芸術・音楽を求める真摯な姿勢も厳しく、 本物を求め続ける先生だった。
瀬山先生は日本歌曲を正しく歌える人が少ないことを憂い、本当に勉強したい人 に分け隔てなく、自分の培ったものを全て伝えていきたいと、このゼミナールを始められたとのこと。
先生のレ ッスンは、本当に厳しかった。どんなに厳しくても歌・芸術に対する本物の先生に出会えた喜びは深かった。何 としてもこの先生についていくと決心。

月に 2 回行われる日本歌曲ゼミナールに通い続け、成果発表会に出演。
美しい日本語、聞き手に歌の心が伝わる日本語の歌、正しい発声法をしていると年齢を重ねて も歌い続けられるから、とご自分の経験を惜しみなくみんなに教えて下さる90 歳を超えていらっしゃる先生。
実際に今でも舞台で、 深みのある素晴らしい日本歌曲を聞かせて下さっている。大人の生徒さんには、私が教わったいつまでも歌い続 けられる発声法、そして美しい日本語の歌い方を、伝えていきたい。

 


Suzuki Voice その後
2009 年 60 歳を前に、Suzuki Voice は、いまだに日本に導入されず、誰かを頼りに待っていてもだめだと気付き、Suzuki Voice の先生になるための勉強を開始。これは海外でしかできないことだったので、フィンランドやオーストラリアに一人で出かけ、オーディション&トレーニングを受け、2012 年念願の Suzuki Voice Teacher の資格取得。ピアノと並行して Suzuki Voice を教え始める。

 Music Mind Games

ソルフェージュをきれいな教材を使って楽しくゲーム感覚で教える、アメリカのスズキ・メソードのピアノ指導者Michiko 先生考案のMusic Mind Gamesのワークショップを受講。その素晴らしさに心打たれ、 教材を取りそろえレッスンに使っている。日本やデンマークでの Workshop を何度も受講し、Teacher Presenter(Japan) の資格を取得。 現在は音楽関係者の方を対象に 1-day Workshopを開いている。

 

 

デンマーク(オールボー)でのMusic Mind Games Lev.2のワークショップに参加

5日間のワークショップを終えて、みんなで記念写真✨

現在(川崎市に生活の拠点を移す・守谷でも岡野ピアノ&ヴォイスみずき野教室として継続中)
子供たち5人は全員独立。長女は、メルボルンで学校の音楽・日本語の先生をする傍ら、スズキ・メソードのピアノ教師として活動。次女、長男、三女、四女とみんな個性豊かな大人に育ってくれて嬉しく思っている。

夫が陸上勤務になり茨城から横浜まで通うのが困難になり、守谷でのレッスンは続けながら、生活の拠点を川崎に移す。

タイで一命を取り留めたこともあって、健康で音楽を続けられることに感謝し、音楽で社会に恩返しを・・・と、2003年から月に1回以上の割合で、病院ロビー・緩和ケア病棟や老人施設でのでのボランティアコンサートを続けている。2019年7月、つくばメディカルセンターより緩和ケア病棟での小さな音楽会を50回行ったことで感謝状を受ける。(2020年よりコロナ感染症のため病院でのボランティアコンサート はお休み中です)


音楽の好きな世界に通用する生徒さんを育てるスズキ・メソードでのピアノとヴォイスのレッスン、また大人の方のヴォイストレーニングと日本歌曲のレッスンを続けている。

【実績】
スズキ・メソード、ピアノ科指導者として 2023年でちょうど40年になる。
生徒さんを200人以上育てる。 生徒さんは各界で活躍する(お医者さん、学校の先生など、海外留学など)

【資格】
・中学・高校音楽教諭免許
・スズキ・メソード ピアノ科指導者(才能教育研究会)http://www.suzukimethod.or.jp
・Suzuki Voice Teacher ヨーロッパ スズキ協会認定 http://www.suzukivoice.com/newsgrad
・Music Mind Games Teacher Presenter  (https://www.musicmindgames.com)

 

病院でのボランティアコンサートを20年続けている(横浜市立脳血管医療センター入院病棟にて)